自然豊かな大地が広がる惑星ハルファ・エアリオリージョン。
すっかり日の落ちた深夜、のろのろと歩を進める影がひとつ。
「どうしましょ……、帰り道がわからないわ」
テノは、その真っ赤な瞳で轟音と水飛沫を上げる大瀑布をしばらく見つめ、やがて諦めたように目を逸らした。そして、手に持った緑黄色の果実をかじる。
「あっ、美味しい!」
梨に似たみずみずしさをもつ果実の味に一瞬気分が跳ね上がるが、すぐに今の状況を思い出し、顔は曇る。
「やっぱり考えなしにシティの外へ出るべきじゃなかったわね……」
ラッピー捕獲隊が偶然ハルファを訪れてから数日後。それまではセントラルシティの中だけを見て回っていたテノは、この日は好奇心に負け、ついにシティの外――中央エアリオに足を踏み入れたのだった。
オラクルではあまり見られない自然豊かな風景に、テノの足は自然と奥地へ向く。
はっと我に返った時には、どことも知れない大滝の前にいた。そう、夢中で足を進めるあまり、シティからどんどん遠ざかってしまったのだ。
中央エアリオとは違い、水源が豊富なこの場所。足も浅くだが水に浸かっており、ここでの戦闘は平原のように自在に動くのは難しそうだとぼんやり思った。
そこに着いた頃には既に夜。敵もいないとは限らない未知の土地で、暗い中をむやみに動くのは危険だ。今日中に帰ることが不可能なのは明白だった。
だがテノは焦っていた。暗闇で一人きりという状況から抜け出したいあまり、無謀にも月明かりのみを頼りにシティへの道を探し始めたのだ。
(ひとりぼっちの夜中、周りには敵がいるかもしれない……あの時と同じだわ。ああ早く抜け出したい!)
彼女の家族・友達は皆、ダーカーの群れの襲撃を受け、一夜にして滅んだ。
その中で自分だけが生き残り、夜が明けてアークスに救助されるまでのどうしようもない恐怖と孤独。
成長した今でもトラウマとして残るその出来事と酷似した現状が、テノから正常な思考を奪い去ったのだった。
ふと、両頬にやわらかな毛玉が押し当てられる。それぞれ黒色と白色をしたそれを見て、テノはこわばっていた表情を緩めた。
「ミミ子さん、シロー……。そうね、あの時とは違うものね」
テノは一人じゃないよ。そう言っているかのように、ぐりぐりと、しかし優しく身を寄せてくる二匹の兎。
そうだ、今は頼もしい相棒たちがついてくれているじゃないか。それに、捕獲隊というかけがえのない仲間たちもいる。一人ではないのだ。
気持ちを切り替えるために頬を叩き、空を見上げた。さっきよりも夜の色が薄まっており、朝が近くなっていることがわかった。
――その時。背後から強い殺気が迫ってくるのを感じ、テノの全身に緊張が走る。
腰に提げたカタナに手を掛け、振り向いた。
そこには、黒を基調とし、大剣を携えた大きな人型の生命体がいた。機械なのか生き物なのか判別がつきにくいそれは、あっという間にテノの前まで来ると、剣を振り下ろした。
「くっ……!この土地のエネミー!?」
反射で飛び下がって避けつつ、テノは抜刀した。
その間にも、敵はテノの間合いまで入り、第二撃を放ってくる。
巨体に似合わぬ俊敏さですぐさま距離を詰め、その何でも真っ二つにしてしまえそうな大剣を地面に叩きつけてくるこの敵。身体の至る所に走る赤いラインは、まるでこちらに向ける殺意だ。
初めて見る敵だから、当然対策法も知らない。
それに加えて戦闘を行う場所の悪さだ。辺りは水が広がっていて、ぬかるんでいる場所もある。そして大瀑布から落ちる水の立てる音で、耳から入ってくる情報は遮断された。圧倒的に不利だ。
攻撃をしのぎながら、テノひたすら打開策を考えた。
(地上ではすぐに距離を詰められる。……!空、空だわ。武器の届かない範囲まで跳べば……!)
このハルファでは、フォトンを利用して跳躍力を上昇させることができた。さらに、高所から飛び降りる際も、フォトンを身体に纏わせて降下を緩やかにすることも可能だ。
それらを活かし、空中からの襲撃する戦闘に持ち込もうとしたのだ。
意識とフォトンを足へ集中させ、強く地面を蹴る。すると、まるで羽が生えたかのようにふわりとテノの身体は空へ舞い上がった。
敵はこちらを見上げている。いくら大きいとはいえ、流石にここまでは届くまい。
敵の射程範囲から逃れたことで少し冷静さを取り戻したテノは、武器をカタナからバレットボウに切り替え、空中で矢をつがえた。
「くらえっ!」
渾身の力を込めた矢が放たれた。ヒュンと風切り音を立て、矢は敵の頭部へ向かう。
目標まであと少し、というところで、敵に変化が起こった。
敵の身体の赤い部分が、強く白い光を放つ。それから間を置かず、敵の剣を持つ方の腕がゴムのように伸びた。その腕は、矢を放った直後で無防備なテノを襲った。
「きゃあああああっ!!」
予想だにしなかった攻撃。テノは防ぐ間もなく、真正面から受けて地面に叩きつけられた。バシャン、と水飛沫が上がる。
受け身も取れずにいたため、右腕を強打した。
趣味の乗馬で散々落馬し、骨折の痛みは知っている。「あ、折れたかも」と頭の隅で冷静に思った。
折れたであろう右腕は動かしづらく、手放したバレットボウを拾うだけでも鈍い痛みが走る。
(腕が、伸びるなんて反則よ……!)
遠距離でも対応できてしまうと知った今、まだ希望があるのはバレットボウよりもカタナだ。カタナならば弓のように矢をつがえ、放つまでの時間はいらない。
震える右手に鞭打ってカタナを握る。その上から左手を重ね、決して離さぬように強く握りしめた。
「はああっ!!」
力を振り絞り、何とか敵に一撃を食らわせることはできた。それでもわずかにのけぞっただけで、すぐにまた剣を振りかざした。咄嗟に避け、胸部をカタナで突いた。
大剣を避けては懐に入り、一撃を与える。早く倒れろ、とがむしゃらにカタナを振るい続けた。
必死の抵抗を続けてしばらくした時、テノの右腕から力が抜けた。酷使したために限界が来たのだ。
(あ……動かない……)
何度斬りつけても一向に倒れない。距離を取ろうにもすぐに縮められ、無意味だ。
利き腕も負傷した。反対の左腕でも戦えないことはないが、未知の敵の前で不慣れな戦闘スタイルに切り替えてもどうせ追い詰められてしまうだろう。
空が白み始め、朝がすぐそこまで来ていることを知らせる。徐々に明るくなる視界で、今の自分の状態がはっきりと見えた。
水に濡れて全身びしょ濡れ、右手はだらんと垂れ下がり、握っていたカタナは離れたところで水に沈んでいる。
肩にしがみついている相棒たちも、濡れて毛がばさばさと立っていた。彼らに目立った怪我はないが、荒い息を吐く姿からは緊張と疲れが滲み出ていた。
「もう駄目だわ。……あはは、テノってば弱音吐いてる」
普段の自分からは珍しい弱音が漏れた。絶体絶命のこの瞬間、ついに命もどうでもよくなり、乾いた笑い声を上げた。
肩から飛び降りた兎たちが、テノの胸元に縋りつき、小さく鳴いた。
「貴方たちは逃げて。テノ、もう戦える気がしないの……」
戦意を喪失したことで、足からも力が抜ける。
座り込んだテノの前に、敵が立ちはだかった。そして、最後のとどめだと言わんばかりに、ゆっくりと剣を振りかざした。