夜明けの笑顔・中編

 その時。

 フォトン矢の雨が天から降り注ぎ、敵を襲った。
 敵も予測していなかったのか、全ての矢を受ける。そして、崩れるようにして消滅した。

「……っと。あー、間に合った!よかったぜ……」

 そして、聞いたことのない声と共に、敵がいた場所に人が降り立った。

「え……」

「もう安心だぜ、立てるか?」

 体格、声の質からして、自分と同じくらいの年齢の少年だ。
 彼は放心状態のテノを見下ろし、手を差し伸べた。

 地平線から太陽が顔を出した。朝が来たのだ。

朝日を背にして立つ彼の顔は、逆光でよくわからない。だが、声の色、そして手を差し伸べてくれていることから、悪い人物ではなさそうだ。

「ありがとう……、助かったわ」

 いつもの癖で、右手を上げようとして、力が入らないことに気付く。そうだ、折れてるんだった。
 ゆるゆると左腕を持ち上げ、差し伸べられた手に自分のを重ねた。すると、ぐいっと強い力で引っ張り上げられた…………が。

 引っ張っても立ち上がらないテノに、少年は首を傾げた。

「ん、立てないのか?」

「……腰、抜けちゃったみたい……」

 ぐううう。
 そこでタイミングを見計らったかのように、テノの腹が鳴った。安心したやら恥ずかしいやらで、テノは曖昧にはにかむ。

 ははは、と少年が笑った。

「なんだ、腹減ってんのか。まあメシはここから離れて、君の手当てを済ました後な」

 さ、行くぜ。そう言ってテノの手を離した少年に、テノは戸惑いの声を上げた。

「あ、でもテノ、腰抜けてて歩けなくて…………ほやー!?」

 少年はすっとかがんだかと思うと、そのままテノを肩に担いだ。俵担ぎである。
 自分と同年代の少年に担ぎ上げられたことなど一度もないテノは、素っ頓狂な声を上げ、彼の肩の上でジタバタともがいた。

「あ、歩ける、歩けるから!もう腰抜けてないわ!」

「ん?あ、そうなのか、わりい」

 一瞬で腰が元通りなど、そんなわけがない。下ろしてもらいたいがために咄嗟に出た嘘だった。
 だが少年はあっさりとテノを地面に下ろした。が、地に足が着いた瞬間、テノは崩れ落ちる。戦闘での疲れもあり、まだ歩けないのだ。
 立ち上がれず、火が出るほど顔が真っ赤になった。

「やっぱり立てねえじゃねえか。大丈夫、落としたりしねえし!」

「うー……」

 そういう問題じゃない、と言っても多分彼はわかってくれないだろう。
 今度は大人しく担がれた。歩幅が大きいらしく、ずんずんと大きな揺れが肩の上のテノにも伝わる。

 そういえば、相棒たちは。担がれた状態できょろきょろ見渡せば、二匹とも少年のすぐ後ろをぴょこぴょこと跳ねてついてきていた。ほっと胸を撫で下ろす。

「君、アークスになりたてか?ペダス・ソードにかなり苦戦してたみたいだけど」

「違うわ。あんなの初めて見たのよ。だから戦い方がわからなくて……」

 へ?と少年が言った。担がれていて表情は伺えないが、多分怪訝な顔をしている。

「いや、ペダス・ソードなんかどこにでもいるだろ。今まで遭遇しなかったって、君の方が珍しいぜ。映像や写真を含めれば、アークスじゃない民間人も見たことあるくらいだし」

「ほ、ホントに初めてだったのよ!」

 少年はへぇと相槌を打つが、その棒読みさ加減に、彼の意識はすでにこちらから離れかけていることが知れた。
 少年の意識が完全に離れる前に、とテノは慌てて口を開いた。

「信じてもらえないかもしれないけど、テノはハルファのアークスじゃないの。さっきも、シティから外に出て、帰り道がわからなくなって……」

 少年は、ああ、と妙に納得したような声を上げた。その反応にテノは内心首を傾げる。

 普通、ハルファのアークスではないと聞いたら不審がるだろうに……。

「君ってオラクルのアークス?」

「えっ」

 今度はテノが怪訝な顔をする番だった。
 ハルファのアークスは、自分らオラクルアークスの存在を知らない筈ではなかったのか。

 テノが疑問を抱いている気配を察知したのか、少年は笑って言葉を続けた。

「10年くらい前かな……、俺、オラクルから来た人と出会って、一緒に暮らしてた時期があってさ」

「そ、そんな前に?10年前って、オラクルの人たちもハルファの存在を知らなかった頃よ」

「ふうん……。ま、詳しいことはその人に聞いてみな。あ、一瞬下ろすな」

 少年は足を止めると、ゆっくりとテノを肩から下ろした。それから間を置かずに、今度はテノの背の膝裏に手を入れ、横抱きにする。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

「ほやっ!?あなた力持ちね……」

「な、ちょっと寄り道していいか?」

「え、ええ。いいけど……」

 少年の顔を見ようとしたテノを、その少年が制止した。驚き、テノは中途半端に顔を上げた状態で固まる。

「まだダメ」

 え、と戸惑うテノに、少年の優しい声が降ってくる。

「目、閉じてて?ちょっとびっくりさせたいんだ」

 大丈夫、落とさねえから!とさっきと同じようなことを言う少年に、テノは今度は笑って「ええ」と頷いた。

 小柄だが、アークスとして鍛えているためそれなりに重量のあるテノを軽々と抱え、少年は走る。しかも、その速度は落ちることがない。

 しばらくすると、走る時特有のリズミカルな揺れが変化した。よりいっそうストライドが大きく、滞空時間が長くなったのが、目を閉じたテノにも伝わった。
 多分、彼は連続で跳躍している。それも、上に向かって。

 頬に当たる風が強くなっていく。

(どこかの山の上にでもいるのかしら……?)

 しばらくして揺れが止む。着いた、と少年が満足そうな声で言った。
 そっと地面に下ろされた。まだ少し膝が笑っていたが、立っていられないほどではない。

「はい、お疲れさん。着いたぜ、目を開けてみな」

 危ないからその場から動くなよ、と言っているのを聞きつつ、固く閉じていた瞼ををそろそろと開けた。
 強い光に思わず目を閉じそうになるが、こらえて開ききる。

「ほやぁ…………!」

 目の前に広がる光景に、テノは思わず感嘆の声を漏らした。
 てっぺんへと昇りゆく太陽が、その淡いオレンジ色の光をもって辺り一帯を照らしていた。

 下を見てみれば、自分が踏みしめている狭い岩場の遥か下に地上があった。なるほど、それでさっき彼は動くなと言ったのか。

 朝日を受け、のっそりと動く小さな点がいくつか見える。シティの外で暮らす動物たちだろう。
 動物たちとは違う動きをしているものもいる。
 淡く光るソードを引っ提げて走るのは、ハルファのアークスだ。その先には……

 夢中になって朝日と眼下の光景に見入るテノの肩に、ポン、と少年の手が乗せられた。
 その小さな衝撃で我に返り、テノは少年の方を見る。

「な、綺麗だろ?これを見せたかったんだ。日の出の時間帯にしか見られねえんだよ」

 初めて真正面から少年を見た。人懐こそうな顔をしている。
 朝の光を浴びて笑う彼は、とても眩しい。

 そしてその赤い瞳。鏡で見る、自分の瞳の色とよく似ている。
 オラクル船団には多様な種族がいるからか、瞳だけでも色の種類は多い。それはここハルファでも同じことだろう。
 赤い瞳の持ち主なんて、いくらでもいる。それでも彼の瞳の赤には、不思議な懐かしさを覚えた。

 じっとその瞳を見ていると、少年もじっと見つめ返してきた。

 数秒沈黙した後、少年が「なあ」と目を見たまま言った。

「初めて会った気がしねえんだけどさ」

「あ、それテノも思った。初対面なのに、どうしてかしらね?」

 似た瞳の色、互いに初対面と思えない妙な親近感。単なる偶然ではない気がした。
 そこで、まだ少年の名前を聞いていないことに気付く。

「あの、あなたの名前は?テノはテノっていうんだけど」

「名前?ないんだよなぁ、俺」

 頭を掻きながら、何故か照れくさそうに言う少年。

「ほや……はぁ!?」

 テノが上げた声は案外大きく、下を走るアークスがぎょっとして立ち止まったのが見えた。